最近、朝のNHKBSの番組を見ながらの片付け、掃除が定番になって来ています。
先日、鹿肉の処理が上手く、多数の高級店からの注文を受けているハンターの番組がありました。
「殺して生かす〜命と向き合う鹿猟師〜」という番組でした。最近は(と言っても、もうかなり前の番組のアーカイブでしたが)ニホンオオカミを獲りすぎで、鹿が大量発生になっているそうです。人間にとって鹿は所謂”害獣”になってしまっていて、各地で狩猟が行われているとのこと。猟友会の狩の仕方は、猟犬を使って追い詰めて、銃で撃つそうです。でもこの猟の仕方では、鹿の肉は食べられないそうです。そしてこの猟では、撃った鹿はほぼ野晒しになってしまい、ただ命を奪うだけのものになっているとか。
その狩の仕方に疑問を持ったあるハンターが、コール猟に磨きをかけて様々に工夫を凝らし、臭みのない「美味しい鹿肉」をお店に提供しているそうです。狩って直ぐに血抜きをして、保存の仕方にもこだわりを持って肉を捌いているそうです。番組の中では、その猟の仕方、捌き方を学ぶお弟子さんもいました。
「殺したからには、全て余すところなく命を頂戴する」という考え方でした。
この時、ふと私達の使っている楽器のことを思い出しました。
三味線・胡弓は、猫の皮、犬の皮から出来ています。象牙ももう捕ってはいけないものになってしまいましたが、象の牙です。
私達も、毎日このような楽器を使っているのに、その生き物に対しての感謝がまだまだ足りないかも・・と、はたと思ってしまいました。
命を頂いているのだから、その皮を使って良い音で演奏して、その生き物が成仏できるように日々感謝がもっと必要に思いました。
そう思って、供養塔のような物があるか調べました。関東にも建立したものがありました。
私達の学生時代には修学旅行があり、自分達の普段お世話になっている皮の工場、糸の工場を見学していました。最近のカリキュラムはわかりませんが、その際には皮や糸がどのように作られているかを勉強しました。写真は、うん十年前の修学旅行のスナップ写真です。
この頃は、その工程がどうにも我慢できなくて、眉をひそめていた人もありました。
この時は、その”命”について思いを馳せることはほとんど無かったと思います。
今頃になって、この番組を通して「殺して生かす」ということに改めて気づかされました。
人生、何時まで経っても”勉強”ですね。
遅ればせながら、近日中に供養塔を訪ねてみようと思いました。