地歌の三味線、箏は最初から今の形では無かったようです。
江戸時代の「京都石村近江」から始まり、二代目は江戸に移り、先日お写真を掲載した石碑に繋がります。
現存の一番古い型の地歌三味線は、野川三味線(大阪)と言われていて、その次は、柳川三味線(京都)と言われています。さらに様々な改良を重ねて現在の地歌三味線の形に納まりました。
写真は、左から古い形態の三味線になります。
三味線は蒔絵を施してあり、撥も現在の津山撥よりかなり華奢な撥を使っています。
貴重な楽器ですが、お写真は可とのことで、早々掲載します。
箏も、初期の頃は長磯箏という立派な磯の蒔絵が施された楽器でした。
象牙を使い始めたのはだいぶ近年、明治時代頃になってからのようです。
胡弓も、この胡弓は四本弦があります。胴にも弓にも蒔絵が施されています。
原点に想いを馳せるのもまた何かの発見があると思い伺いました。
私の中では、現在色々構築中です。