最近「気」づいたこと

今日は10:00〜10:40「春の海」12:00〜2:30「吼噦」でした。
今回の演奏会を迎えるにあたって、改めて考えたことがあります。
以前から、私と母が宮城道雄先生のお名前を口にする時、温度差があることは気づいていましたが、先日増上寺の祥月命日に伺って、はっきりとわかったことがあります。
私の中では先生は歴史上の音楽家、レコードの中の音楽家なのですが、母は宮城先生の生前を知っているのです。先生は母が芸大の2年次に亡くなったのでした。1.2年次は合奏で先生にレッスンをして頂き、3年生から個人レッスンをして頂くことになっていたそうです。
母は地方から宮城先生のレッスンが受けたくて上京したようなものですから、亡くなったことがあまりにもショックで、そのあとは何だか分からないうちに卒業になった感じだったようです。
先生の箏の音色を直に聴いていて、先生のお話を直に聞いていたのです。
演奏会終曲「日蓮」も、どうも本当は参加したかったようなのですが、流石に新潟から5回以上の練習に参加するのは無理と思ったらしく、私が参加すると言いましたら、「私も出たかったのよね」と、ポツリと漏らしていました。母の1年下の学年までが生前の先生を知る学年です。
もちろん宮城直門の先生方は、もう少し若い方でも直接宮城先生にお習いしている訳です。
直接習うということは、曲を習うだけでなく、その場の空気雰囲気匂いまでも覚えているものです。でも、それは次の代にはなかなか伝わりにくいものですよね。
「気」というのはいかなる時も、その時でしか体験出来ない、でもとても大切なことなのだと思います。


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